【短編小説】『ただ、君に逢いたい』5(恋愛ファンタジー)
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「……すまない、トウカ。あんたは俺を救ってくれたってのに……」
最低だな俺は、ひとりごちると自嘲した。
黒髪をかきあげる。
それから丁寧にトウカの衣服を整えると立ち上がり、引っさらうように琴をつかんだ。
「そうだな……あんたの言うとおりだよ。俺は自分の国に戻って、もう一度最初からやり直さなきゃならない――」
先ほどまでの激情を宿した双眸は消え失せ、いつもの柔和な表情がそこにあった。
「ここは俺の居るべき場所じゃない。俺を受け入れてくれなかったあんたには感謝してる。なのにそれ以上を望むなんて、俺は……人間ってのは、どこまで強欲なんだろうな」
ぽつり、漏らすと、視線を避けるように小屋へ戻っていく。
呆然と男の後ろ姿を見送りながら、トウカは思わず呟いていた。
「馬鹿。ちがう、そうじゃないのに……っ」
どうしたらいい。あの男には私の真意が伝わらない。
ヤトラにだけは――どうしてもこの気持ちをわかってほしかったのに。
だが翌日、男は几帳面に身の回りを整え、春の濃い霧にまぎれて姿を消した。
人の世界へ帰ったのだ。
――それから三年後。
無精髭を伸ばし、一回り肩幅の大きくなったヤトラが狩り装束で小屋の前に現れた時、そこに待ちかまえていたのは、トウカとはまったく別の幼い少女だった。
「よくぞ二度も迷い森を越えて来られたな。前王を国外追放したセイグスタ新国王」
深緑の髪に空の青を忠実に写した瞳の少女は、そう言って慇懃(いんぎん)に一礼した。
「なるほど? 優顔(やさがお)のくせに豪腕という評判通りの男のようだな。私はエマ。先の新月よりこの砦を守る、新しい戦乙女(いくさおとめ)だ」
「……トウカは、どこにいる」
「貴様に、そんなことを問う資格があると思うてか。たかが人の王の分際(ぶんざい)で」
ヤトラは肩をすくめ、腰に手をやった。
「俺はトウカに会いに来たんだ。悪いが人の王とはいえ、襲名(しゅうめい)以来、なかなか忙しい身でな。あんたと押し問答している暇はない――」
腰に下げた剣を抜くや、躊躇(ちゅうちょ)無く切っ先をエマに向ける。
「俺はトウカから金の指輪をもらった身だ。他の精霊に、俺を捕らえたり裁く権はないはずだが」
「どの口が、そんなえらそうな物言いを――」噛みつかんばかりの勢いで、エマは男を見上げた。「おまえのせいで、トウカは……!」
ヤトラはいぶかしげに目を細めた。
「あいつになにか、あったのか」
「……トウカは死んだ」
ヤトラは深く眉を寄せると、剣を握る手に力をこめた。
「――戯れ言(ざれごと)を」
「嘘じゃない。姉はみずから王に願い出、精霊ではないものに生まれ変わってしまったんだっ」
青ざめるヤトラにむかって、
「先々代の戦乙女が三百年前にしたのと同じあやまちを、トウカもくり返した! いまさらなにしにきたっ。おまえたち人間はいつもそうだ……、みずからの生、みずからの世界、みずからに連なる者たちにしか関心が無いくせに。帰れ!」
それだけ聞けば十分だった。
ヤトラは踵(きびす)を返した。
剣を鞘(さや)に戻すや、かって知ったる崖端を転がり落ちるように走りおりる。
その先に見えるのは、くだんの王の大木。
前に見た時にはわずかに葉をつけるだけだった巨木が、今は木のうろを確認するのも大変なほどに青々と葉を茂らせている。
トウカの澄んだ声が耳裏に蘇った。
――ヤトラ。王の木は魂を糧(かて)とするんだ。
「……トウカ!」
蒼白になってヤトラは叫んだ。
「答えろ! そこにいるのか、トウカ!」
しかし王の木は揺るがなかった。
ただ柔らかい風が誘うようにヤトラの黒髪を乱す。
「くそっ……」
ヤトラはたまらず大木の幹(みき)に両手をついた。
人と精霊との悲恋話なら、ヤトラの王国にも昔語りとして伝わっていた。
かつて霧の国を訪れた人の男が戦乙女に恋い焦がれ、強引に自分の国に連れ帰ろうとした話。
しかし人の浅ましさ、汚さをいやがった乙女は、ついに神樹(しんじゅ)に変身してしまったという――。
「トウカ……そんなに、俺がきらいだったのか」
愕然(がくぜん)とした。
いつもどこか頑(かたく)なだったトウカの態度に失望しながらも、一縷(いちる)の望みを持ち、ふたたび迷い森をこえてきたというのに……今度こそ、と呪文のように念じながら。
(以前ここにきた時、俺は何者でもなかった)
トウカを愛おしく想いながら、守り切る自信も、幸せにできる確証もなくて。
だが今はちがう。
生きる目的があり、大切な仲間がいる。
それを伝え、思い切って膝を折って請うつもりだった。――自分と共に来て欲しいと。
その6に続く>>
【短編小説】『ただ、君に逢いたい』6(恋愛ファンタジー)・終 - Home, happy home
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