【短編小説】『ただ、君に逢いたい』4(恋愛ファンタジー)
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トウカは精霊だから、ヤトラがなにも語らずともわかってしまう。
この男が人の世でなんのために生まれたのか、ずっと生きる意味を見いだせないでいたこと。
誰かに必要とされたくて、つながろうと必死にあがき、やっとえた居場所を――悪意により一瞬にして奪い去られてしまったことも。
だが、それでも。
「なあヤトラ。逃げた先の死に、救いはない。生きていることを恐れるな」
「トウカ……」
「人は皆、しょせんはひとりなんだ。その真実から目をそらすな。どんなに今が苦しくても――」
ヤトラは答えなかった。やがて悄然(しょうぜん)としたようすできびすを返すと、トウカの横を通りすぎる。
トウカは後を追わなかった。
男の心境を思えば何かなぐさめを言いたかったが、聡いヤトラならば、己(おのれ)の力だけでこの苦境を乗りこえられるだろう、と信じたからだ。
その日の宵(よい)、日が暮れてもヤトラは小屋に戻らなかった。
トウカが探しに出てみると、男は星蘭(せいらん)草の群生する崖端に座り、小さく竪琴を奏でていた。
星蘭(せいらん)草は星の光を受けると青白く発光する。
無数の光が風に揺れる中、夜の静寂(しじま)に優しい楽(がく)の音が溶け、暗い谷底へ流れ落ちていった。
「……食事が冷めてしまうぞ」
トウカは無造作にヤトラの隣に座った。
まったくこの男は……無防備に心を開きすぎだ。
トウカが監視役だという事実など忘れたように、もう人の世界へ戻る算段をしている。
(ふん……投獄された仲間を救うため、生命(いのち)の草を一輪、私に黙って持ち帰るつもり、なのか……)
泥棒は処罰する決まりだが、しかたない、一輪くらい見逃してやろう、と苦笑いした。
今のままここにいても、この男に救いはない。帰る気になってくれてよかった。
(これで本当にサヨナラだな、ヤトラ……)
迷い森は人がこちらがわに来る最初の関門だ。そう何度も通りぬけられるものじゃない。
おそらく私がこの竪琴の音色をここで聞くのも、今宵が最初で最後。
(まさか……こんな気持ちになるなんて)
トウカはひそかにため息をついた。
砦の役は百年交代だ。
この百年、トウカはずっと独りだった。
話し相手もなく、ただ村に戻ったらどうするか、先のことばかり夢想していた。
それが初めてこの瞬間、この一時、時間が永遠に止まってしまえばいいとさえ思う。
このままヤトラが奏でる繊細で力強い調べを、いつまでも心のまま聞いていたい。
今までこれほど胸が熱く高鳴ったことなどない。
――けれど、それが叶わぬ願いであることも理解していた。
人と精霊では命の長さも、若さを保つ力も、魂のあり方も、なにもかもがまったくちがう。
昔、ヤトラのようにこちら側へきて戦乙女(いくさおとめ)と恋仲になった人間の男は、そのことに結局耐えきれず、やがて人の世へ戻っていった。
そう。霧の国では有名な話だ。
その後、恋やぶれた戦乙女がどうなったのかもふくめて――。
ひとしきり心に沁みるもの悲しい演奏を続けたあとで、ヤトラはふいに手をとめた。
「……トウカ。一つ、聞いてもいいか」
「うん?」
「俺は人間で、あんたは砦を守る精霊で……」
なにかをひどく押しこらえるような声。
「侵入者の俺を、初見で排除することだってできはずだ。それをしなかったのは……」
ふいにヤトラは琴を投げ出した。
「――なぜだ?」
トウカは息を飲んだ。男は射貫くような捨て身のまなざしでこちらを見ていた。
「ヤトラおまえ、なに……を!」
ヤトラはすばやく半身をひるがえすや、トウカを星蘭(せいらん)草の上に押したおした。
「なあトウカ。精霊でもあんたは女で……俺は男だ。だから、このままこうして――」
男の大きな両手がしっかりとトウカの手首をつかむ。硬い胸が強くのしかかってくる。
「……人間の女を抱くみたいに、あんたを抱いたらどうなる?」
「な」
「魂じゃなく、身体を重ねたらどうなるんだ」
熱い吐息が首筋にかかった。
清涼な汗の香り。
鎖骨を濡れた唇が這い、トウカは頬に朱を散らしながら、たまらず背をのけぞらせた。
「やめっ、やだ、ヤトラ……!」
しかし男は動きを止めなかった。荒々しい息づかいと、自分とはちがう肌の熱。
胸の奥で鳴り止まない鈴の音を聞きながら、ぎゅっと目をつむる。
怖い。
身体の芯が溶けて、どうにかなってしまいそうだ。
どうしよう、忘れてしまうつもりだったのに……これじゃ我慢できない。
――私は……もうヤトラを突き放せない。
いつしかトウカは泣いていた。
その気配に気づくとはっと我に返ったように男は顔を上げ、穴の開くほどトウカを見つめた。
それからのろのろ身体を外すと起き上がり、眉を寄せ、口に握りしめた拳をあてる。
その5へ続く>>
【短編小説】『ただ、君に逢いたい』5(恋愛ファンタジー) - Home, happy home
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