【詩エッセイ♪】 夢のたびびと82『星々の願い』・感動の本質とは。ユーミンの『ひこうき雲』
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こんにちは、ゆきうさぎです。
はじめましてのみなさま、ご訪問ありがとうございます☆
前からご覧になられているみなさま。引き続き「夢たび」お楽しみ下さい♪
子供の頃から夢を見ずにはいられないまま、大人になりました。そんなゆきうさぎが10年近く前に書いていた詩「夢のたびびと」に、このたび新たに「夢たび景色」を書き加えたものが、この詩エッセイです。
【夢たび82】『星々の願い』
どうか 思い出して
悲しみは 永遠じゃない
ぼくが君の 守り星
どうか 思い出して
君は ひとりじゃない
ぼくが君の 守り星
どうか 思い出して
生きている すばらしさを
ぼくが君の 守り星
みんな つながってる
みんな 愛されてる
【夢たび景色】感動の本質とは。ユーミンの『ひこうき雲』
手前味噌ながら、ゆきうさぎ、この『星々の願い』、夢たびシリーズの中でもいい出来♪と思えるうちのひとつです。
夢たびは全部で103編ありまして、物語色が強いものやら、夢っぽいものやら、クスッと笑えるモノ、子供むけだったり、ちょっと辛辣なのや怖い系のモノなど、色々なテイストの作品があるのですが。
この82番は歌に近いようで、かつてこの詩を読んで下さった方の中には
「メロディラインが浮かぶ。曲を書きたくなる!」
と、おっしゃった人もいました。←作曲の才がある方だった。
その時、逆にゆきうさぎのほうが感動したというか。
ああ、そうか、この方の心の中にはもともと、心の琴線に触れる美しいメロディーがあって、そのメロディーと今、この82番が共鳴したんだ。
音楽でセッションすると楽しいですよね。
相互にハモって、心を揺らしていく感覚というのでしょうか。
ああいう感じで、物語や詩も、他者とつながったり、共振したりすることができるんですね。
さて、このごろゆきうさぎの心をもっとも震わせる歌といえば、やはりユーミンさんの「ひこうき雲」でしょうか。
ジブリ映画「風立ちぬ」のエンディングにも使用された有名な歌なので、ご存じの方も多いと思います。
この歌を映画のエンディングで聴いた時に思ったのは、
「いい歌は、古くならないなぁ」
ということ。
ゆきうさぎが10代のころよく好きで聴いていた歌の中には、正直
「いまだに好きは好きなんだけど、なんかちょっとリズムや旋律が、古いんだよな」
って思うものもあるんですけれど。
「ひこうき雲」はその時代の空気感もしっかり残しながら、変わらず普遍的にどの世代にも訴えかけるなにかを秘めている気がします。
特にこの歌を聴くと、どうしてもゆきうさぎが思い出してしまうのは、今年初めに交通事故で亡くなってしまった息子の同級生のこと。
当時、彼はまだ小学校1年生でした。
夕暮れ時、ゆきうさぎ家族も普通によく通る、馴染みの通学路で起きた事故で、息子の前の席に座っていた六歳の男の子は、突然この世から消えていなくなってしまった――。
「〇〇は、これからずっと学校来ないんだって! もう会えないのかな? どうしてサヨナラしなくちゃならないの?」
幼すぎるがゆえ、友達の「死」を理解できない、明るい息子を前にして。
まだ語彙も豊富でない息子に、どう人の生と死を伝えればいいのか。
息子とは、それほど親しくしていた子でもなかったのですが。
なにせ同じクラスの子供、とても他人事とは思えない。
ぼーっと立ったまま涙がどんどん流れ落ちていたり、ブツブツつぶやいていたり、夜中も全然寝られなかったり、正直、自分でも「あ、なんか精神的におかしくなっているぞ」と思ったのは事実です。
ゆきうさぎは学校で役員やっていたり、お教室で絵本の読み聞かせボランティアをしていることもあり、直に学校で担任の先生と接することで、まだお若い先生の生々しい心の傷を感じてしまったり。
この事故後、2日で2キロ体重を落としました。
2週間はロクに寝られなかった。
心配してくれたママ友ラインも、数日鳴りっぱなし状態だったのですが、たぶんそういうのもダメージ食らった身にはけっこうしんどかったのかもしれません……。
今にして振り返ると、ゆきうさぎの祖父、ちょうどゆきうさぎが六歳で一年生の時に、交通事故で亡くなったんですよね。
箱根の山道で正面衝突。首の骨が折れて即死でした。
当時六歳だったゆきうさぎは、わけもわからず、ただただ元気だった祖父の死が哀しく、火葬場で見た人骨の白さが脳裏に焼き付き、しばらくトラウマだった。
そして今回の青天の霹靂、なんの因果か、ちょうど息子は小学校一年生。
一年生は交通事故をどう受け止めるのか、かつて体感した古い古い記憶が鮮明にフラッシュバックしたせいもあり、余計に冷静になれなかったのかも。
そんな中、身体の内側で鳴り響いてやまなかったのが、「ひこうき雲」。
白い坂道が空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが
あの子を包む
誰も気づかずただひとり
あの子は昇っていく
何も恐れない そして舞い上がる
※空に憧れて空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲
高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ
※くりかえし
※くりかえし
(↑JASRAC管理楽曲であることを確認済の上引用)
注:なお上記の歌詞は、はてなブログ内のみで引用許可されているため、転用禁止です。詳細ははてなブログにJASRAC管理楽曲の歌詞の掲載が可能になりました - はてなブログ開発ブログ確認下さい)
あー、だめだ。
いまだに、歌詞を見るだけで涙が出る。
「あの子は昇って行く なにも恐れない」とか「あまりにも若すぎたと ただ思うだけ」部分なんかは特につらい。親御さんのお気持ちを思うと、胸が苦しい。
あれ以来、毎月、月命日には彼を想うことにしています。。。そんなことくらいしかできなくて、ごめんね。
でも歌を聴くたび涙が出るのは、けっしてユーミンさんの歌が苦痛なのではなく、むしろ逆なんだと思っています。
こうやって、くりかえし歌を聴くことによって、人は受けた心のダメージを少しづつ癒やしていく。
音楽や詩、人の歌声にはそういう不思議な力がある。
以前、被災した方達のドキュメンタリーを見ていてそう知ったので、ゆきうさぎは「ひこうき雲」を聴きたくなったら、迷わずまたこの歌を聴くことにしています。
人生って、楽しい日がたくさん。
でも、それだけじゃない。
どうにもこうにも、つらい日もある。
楽しいだけじゃ、本当にこの世の中を知ったとは言えないとは思うのですが、ダメージ食らっていつまでも落ちたままじゃ苦しいから、早いところリカバリーしたいですよね。
そういう自分の「心の怪我の手当」のしかたは、たくさん知っていたほうがいいわけで。
心が傷ついた時、人の心は歌うことを忘れていると思う。
痛みを耐えるだけで精一杯だから、人生から音が消えてしまっている。
そこに他者の奏でる音を聞いて、感動し共鳴させることで、ふたたび自分の心の音を取り戻していく。それが心の傷を癒やす過程なんじゃないだろうか。
しかし感動の本質って、なんだろう。
ゆきうさぎ、本当は人の心の中には常に音楽が流れていて、それが正常な精神状態なんだと思うんですよね。
ただみんな、自分が奏でている音には鈍感というか、あまりにその音楽が自分にとって自然であるがゆえに、平生は無意識である、と。
ところが世の中にはそういう自分の心の音楽を外部に、他者にも聞ける形で取り出せる能力者がいる。それがいわゆる音楽家と呼ばれる人たちというわけです。
人は他人が創り出した音楽に感動しているのではなく、あくまで自分の心のなかにある音楽が他者の音と共鳴した時にのみ、自分の奏でた音に対して感動しているのではないでしょうか。
みなさんの心は、今も素敵な音を奏でていますか?
今日の夢たびは、その音と共鳴できました?
少しでも、鳴っていたらいいな。
それでは、また。
ごきげんよう。
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