【詩エッセイ♪】 夢のたびびと98『北国の冬』・トリリンガルの語学雑感
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こんにちは、ゆきうさぎです。
はじめましてのみなさま、ご訪問ありがとうございます☆
前からご覧になられているみなさま。引き続き「夢たび」お楽しみ下さい♪
子供の頃から夢を見ずにはいられないまま、大人になりました。そんなゆきうさぎが10年近く前に書いていた詩「夢のたびびと」に、このたび新たに「夢たび景色」を書き加えたものが、この詩エッセイです。
【夢たび98】『北国の冬』
来る日も来る日も 粉雪が舞う
鮮やかな世から忘れ去られた この世の果て
体をがんじがらめに 縛られているよう
耐え難いものがあるけれど
まるで雪解けの時 氷が溶け出すように
ゆっくり醸されて 一滴づつ豊かになるんだ
語り部の 朗々と響く歌声
銀のしずく 降る降る まわりに・・・
死の厳しさを こえた先にある
【夢たび景色】トリリンガルの語学雑感
夢たび98は北海道イメージです。
「金のしずく 降る降る まわりに~」はアイヌ神謡集・知里幸惠さんの『銀の滴降る降るまわりに』から引用しました。
このアイヌ語、↓記事のローマ字で見ると外国語のお勉強めいていて、なんとなしに懐かしい感じ。ちょっと見、ギリシャ語かロシア語みたい。
梟の神の自ら歌った謡 | Kamuycikap Kamuy Yayeyukar | ♦kamuycikap=梟の神 ♦kamuy=神 ♦yayeyukar=自ら謡うユカラ |
「銀の滴降る降るまわりに」 | “Sirokanipe Ranran Piskan” | ♦sirokanipe=銀の滴 ♦ranran=降る降る ♦piskan=まわりに |
「銀の滴降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに」 という歌を私は歌いながら |
“Sirokanipe ranran piskan konkanipe ranran piskan,” arian rekpo ci=ki kane |
♦sirokanipe=銀の滴(sirokane=銀 pe=もの) ♦ranran=降る降る(ran=降る) ♦piskan=まわり (=piskan) ♦konkanipe=金の滴(konkane=金) ♦ranran=降る降る ♦piskan=まわりに ♦arian=という ♦rekpo=鳥のさえずり 鳥の歌 (rek=さえずる) ♦ci=ki=私はする(ci==私 ki=する(=さえずる)) ♦kane=~ながら |
流れに沿って下ってから 人間の村の上を通りながら 下を眺めると |
pet esoro sap=as ayne, aynu kotan enkasike ci=kus kor sicorpok un inkar=as ko |
♦pet esoro=流れに沿って pet=川 esoro=~に沿って♦sap=as=下る sap=下る sap-=as=下る ♦ayne=~して ayne=~して(暫らくして) ♦aynu kotan=人間の村 =アイヌコタン ♦enkasike=~の上 ♦ci=kus=私は通る kus=通る ♦kor=~ながら ♦sicorpok un=その下を ♦inkar=as=見る inkar=as=私は見る ♦ko=~すると |
昔の貧者が今の富者になっていて 昔の富者が今の貧者に なっている様だ。 |
teeta wenkur tane nispa ne, teeta nispa tane wenkur ne kotom siran. |
♦teeta=昔 ♦wenkur=貧者 ♦tane=今 ♦nispa=富者 ♦ne=~になる ♦teeta=昔 ♦nispa=富者 ♦tane=今 ♦wenkur=貧者 ♦ne=~になる ♦kotom=様子 ♦siran=様子だ |
(アイヌ神謡集・知里幸惠・『銀の滴降る降るまわりに』より抜粋)
ゆきうさぎは学生時代、英語・ドイツ語の2カ国語を小学校から大学まで平行してお勉強してました。
ということで、アイヌ語にひっかけて、今日はワタクシの語学遍歴のお話を少しいたします。
ゆきうさぎの英語はインターに行っていた時と、社会人になってから会社で使っていたのと、夫のベトナム赴任時代に生活で使っていたので、とにかく「生活するのに便利な技能」というイメージでしょうか。
ドイツ語はドイツに住んでいた6年、高校は第一外国語として、大学は専攻としてずーっとかかわってましたけれども、社会人以降は断絶状態。
なのであれだけ楽々ドイツ語を話していたのがウソのように、今じゃ聞けるんですけど、ずいぶんと話せなくなりました。。。汗
まあ、数日ドイツにいれば、いくぶんかは戻ると思いますし、はっきりいって英語よりドイツ語のが肌に馴染んで聞きとりやすいですけれどもね。
でもって英語は母国語とする国に在住した経験がありませんので、やっぱり英語圏に住まわれていた方達と比べると、全然、耳慣れてない感じ。
でも英語圏じゃない処の出身者と、「世界の公用語」で意思疎通する分には、あんまり問題もなくコミュニケートできるかなぁ、な印象です。
私の場合は、小学3年生だったある日、両親が突然、
「ドイツ赴任が決まった!だからドイツ語勉強するぞ」
と言いだし、東京は丸の内の語学学校で、ドイツ人の先生からドイツ語を習ったのが、初めての外国語授業でした。
ふりかえると、英語よかドイツ語のが先だったんだなぁ。
で、ずーっとアルファベットを「アー、ベー、ツェー」って読んで、「覚えが悪い」とかなんとか言われながら嫌々、「また丸の内行くの~やだ~、先生怖い~~」みたいな感じで母や妹と学校に通ってました、たぶん半年くらい。
ドイツ人って基本あんまり、にこにこしないんですよね。
それにはちゃんと彼らの文化的な意味があって。
意味なくにへらにへら笑うのは、どうもヨーロッパ全般において「人を騙す時」「軽薄」みたいなイメージがあるらしい。
だから「誠意を持って相手と接しています」と表現するために、ドイツ人は真顔で相手の目をきっちり見ながら話すんですけど、日本人は基本的に「笑いながら、目を合わせず」話す文化でしょ。
それで先生としちゃ、「不真面目な子供だ」みたいな印象だし、こっちは「怖い先生だ」と相容れなかったんですよね、最初のうちは……。
これが人生初の異文化体験。
そして渡独。
そしたらばですよ、現地校(ドイツ人が通う普通の小学校)には、小4からだと編入しがたいという事実が判明したんです。
というのも、ドイツという国は小4にて将来の職業選択をある程度完了する国なのですね。
ピンとこない方は、どうぞ人生ゲームを思い出して下さい。
①ギムナジウムと呼ばれる大学進学コース、
②レアルシューレは16歳から事務職など企業で就業する人向けコース、
③ハウプトシューレは15歳から職人として就業する人向けコース。
この3択を10歳時に済ませて、5年生からそれぞれ別な道を歩み始めるわけ。
ゆきうさぎ、大人になってからドイツ人に聞いたことがあります。
「正直まだ小学校4年生で、将来自分がなにになりたいかなんて、わかる? どうやって進路を決めるわけ?」と。
すると返ってきた答えは概ねこう。
「将来なにになるかは、小学校時代で十分、判断できるよ。だって生まれてから10年もあるんだよ? 親が10歳までにどうしたいかを決断できるように指導するしね。それも親としての務め、育児だよ」
えー。まじか。
とにかくそんな事情があったので、小4でドイツ語もろくすっぽ話せないゆきうさぎが現地校に入るなんて、無理だというわけ。
両親よ~、ちゃんと調べてから渡独してよ~、と言いたいトコロだけれど、我が両親はドメスティック人間だし、昔は今ほど海外駐在員もいなかったので、情報が不足してたんでしょう。ということにしておこう。
で急遽、
「おまえは明日からインターナショナルスクールへ行け!!いいか、インターでは英語を話す。ABCはエー、ビー、シーと読む。今、この場で暗記しろ。言えたか?よーし、完璧。じゃ行ってこい!」
と、送り出された。
「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」どころじゃなくないですか? この仕打ち。
あ、これホントまじな話ですから。ゆきうさぎの父、こんな人。苦笑
しかし小4の日本語しかわからん女の子が、ある日突然、なんの予備知識もないままに、異文化空間に放りこまれるというね。
初日に一番困ったのは、トイレです。
どこにトイレがあるかわかんないけど、「おトイレどこですか?」が言えなかったの。
あの日、我慢の限界というものを、初めて超越したかも……。苦笑
だからゆきうさぎの人生最初の英語フレーズは、
Where is the Toilet?
ですよ。
エー、ビー、シーまだ完璧に言えなかったけどさ、「トイレどこ」「トイレ行きたい」はそれより速く覚えましたよ。だって必要だから。
とにかくこんな調子で朝8時から昼3時まで毎日ぶっつづけで英会話。
しかも英会話はただの手段であって、それを使いこなした上で算数やら社会やら、勉強についてゆかなければならない。←だってこちらが主目的ですからね。
もちろんテストだってありますよ?
いきなり英語で書かれたヨーロッパ地理のテストとかさ。
「えー、ゆきうさぎ、ブカレストがどこかも知らないの?! つーかブダペストとブカレストを間違えたって?! 全然ちがうじゃん、まじか!」みたいな。
そりゃーもう、言語を絶する苦痛な日々の始まりです。
だってワタクシ、ある日を境に突然、なーんもわかんないドベでダメダメ劣等生になったんですよ、日本ではちゃんと小学4年生として普通の学力があったってのに。
まるでアナタ赤ちゃんデスカ?くらいに、すべてができないことだらけ。
えー、これって、なんの罰ゲームっすか??
いやー。よく登校拒否にならなかったよなぁ。
でも正直、登校拒否とか言ってられないくらい、毎日毎時間毎秒、切羽詰まっていたために、数ヶ月後くらいからは、だいぶ話もわかるようになりました。
ていうか、わかるようになるために、めちゃくちゃハードで無謀な努力を強いられて、できるようになった(のが正しい)。
語学って、ぶっちゃけやらないとできるようにならないし、やったらやっただけ結果がついてくる学問な気がします。
帰国子女やら留学経験者が語学できるのは、=その人がその量だけ裏で努力してきたってことだとゆきうさぎは思ってます。
海外さえ行けば、タダでカンタンに言葉が上手になるってことは絶対ないし、国内だけで勉強していても、外へ出てた人よか語学堪能な人もいっぱいいる。
ようは本人の努力次第。
そんなこんなでワタクシはスパルタな英語を習得しましたが、その後、ドイツ国内でまた転勤があって、次の街には日本人学校があったので、そちらに入って日本式の勉強をしながら、英語とドイツ語を平行して勉強してました。
英語は英会話をアメリカ人に、日本の教科書英語を日本から来た日本人の先生に。
ドイツ語は習得レベルで4段階分けされて、同級生でもしゃべれる人(ハーフとか)はめちゃくちゃ高尚なドイツ語を学び、初級者はアーベーツェーみたいなことをやってました。
二カ国語同時並行な語学の勉強、一カ国語取得よりもよほど大量の労力を必要とするから面倒でした。←あっ、言っちゃったよこの人は。
英語に関して言えば、
ゆきうさぎは英会話はインター上がりだったので、アメリカ人先生からも気に入られて、わりと余裕な感じでやってましたが、日本の教科書英語は文法とかがよくわからなくて、そんなに飛び抜けてできるわけでもなく。
あー、なんか日本式のお勉強英語と実用英語(英会話)って(けっこう)ちがうんだ。
とその時、実感しました。
英会話できると、日本の教科書英語もできると思われがちなんですけどね。
日本式英語はそれ専用の問題集やら参考書で別に勉強して、傾向と対策をやらないと、テストで高得点は取れません。
われわれが普通に話してる日本語と、外国人が習う日本語ってちがうでしょ。
今、「アナタ日本人なんだから、この場で外国人に日本語教えてよ」って言われても、文法とか正確に説明できないでしょ。
たぶん、それと同じ理由でできないのですね。
だから①英会話②教科書英語③ドイツ語と、正確には三種類の語学を同時並行していたような形だったかと。
ゆきうさぎ、オバサンになっても未だに、けっこう英語とドイツ語混ざってることがあるんですが。
ついでに言えば、日本語出てこなくて、英単語かドイツ語単語しか出ない時もあるんですが。
「左」=「レフト」=「リンクス」とか「右」=「ライト」=「レヒト」とか。
家族によく笑われるけど、混ざるってばさ、フツーにっ。
今でもママさんトークしてる時やら、普通にスーパーで会計している時なんかも、たまに日本語出なくなることあります。
でもドイツ語や英語が出ちゃいそうになると、誰もわかんないし、変な人だと思われたくないので、一瞬止まって脳内翻訳してから、日本語でしゃべるようにしている。
ワタクシ別に「語学が三度の飯よか好き♪」タイプの語学マニアではないので、自称トリリンガル(なんちゃって程度)だと、頭の中がたぶん散らかった机の引き出しの中みたいになってるんでしょう。
あ、いちおう補足しときますと、バイリンガルが二カ国語しゃべりの人たちで、トリリンガルもしくはトライリンガルは三カ国語しゃべりの人たちね。ヨーロッパにはトリリンガルいっぱいいました。英語と母国語と、あとなんか近場の国もしくは血筋ゆかりの国の言葉、みたいな。
別に三つできても、あんまりめずらしくもない。四カ国語以上だと、Oh!ですが。
しかし日本って本当に「世界の東のはて」の国だなと思う。
まさに極東。
だってこの島の先は、もう大海しかないもん。
だから日本に住んでるかぎり、あんまり母国語以外話すこともなくて、英語をなぜあんなに時間かけて勉強しなくちゃならないの?って気持ちになるのも、よくわかる気がするのですけど。
外国語を習得するメリットって、やっぱり異国の人たちの考えや知識を知ることができるところなんじゃないかな。
そして自分や自分の国との差異に気づくと、「じゃあ、どうして自分はこうなんだろう」「日本はなんで他の国とちがってるんだろう」って視野を広げられる。
たとえば短期留学してたとき、ルームシェアしてたアメリカ人は
「私はベジタリアン。そしてコークは身体に有害だからサイダーを飲む!」
って、めっちゃぽっちゃり体型だったり。←この価値観はいまだ理解できない。
この子はその後、日本を気に入って2年ばかし住んでたのですが、
「ゆきうさぎさー、短期留学してたとき、一緒にアメリカから来てた〇〇って男子、覚えてる?
彼、アメリカ帰ってから精神病んじゃって、ピストル自殺したんだよー」
としんみり話してたこともありました。←うそ、ピストル自殺?! 日本では聞かないなー。
ベトナムで娘と同じクラスのベトナム人男子ママは、昼間っからいつもすごくセクシーな服装で、黒下着がチラ見えしているような人だったのですが、
「アタシさぁ、じつはオーストラリア人のおめかけなんだ。
で、息子のパパは本国に本妻と子がいるから、数年に1回しか会えなくて。
しかもアタシは息子を産むとき、無理な手術したからもう子供産めなくなっちゃってさ、これからの身の降りよう、どうしようかけっこう悩んでるんだよね。
あんた、どう思う?」
と、いきなり言われたこともありました。←えっ、どうしたらいいんだろう。驚。てか幼稚園でそんな会話。
とにかくね、日本にいたんじゃ出てこないような話がたくさん出てくるんですよ、異国の方々と交流すると。
そのたびに打たれ打たれて、だんだん小さな差異にはこだわらなくなったのが、一番の成果とでも言いましょうか。
言葉の先には、かならず生身の、血の通った人々がいる。
知らない相手と握手をし、語り合い、ちがいを肌で感じ、わかり合う。
それが語学を勉強する本当の醍醐味だと思いますが、いかがでしょうか。
それでは、また。
ごきげんよう。
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